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みんな大好き少しだけ秋の色

だいたい秀吉と徳川家の確執の痕跡だよ(´・ω・`)

いきなりだけど、西本願寺に対抗するように東本願寺を開かせたのが徳川家。
東本願寺の小さいお堀に映る空と雲、落ち葉と鯉がまったりしてました。

東本願寺と渉成園の間にあるのが烏丸通、ここの植栽もこのあいだよりも色づいてきた。

東本願寺の飛地、渉成園も家光の時につくられたもので、秀吉と徳川家の確執の痕跡かも。
つまり西本願寺から方広寺や大仏殿へのルートである「正面通」を東本願寺と渉成園でブロックして分断したってことです。

西本願寺-正面通-(東本願寺)-正面通-(渉成園)-正面通-方広寺・大仏殿、って感じで正面通という道を塞いで分断、そのうえ大仏殿もなくされ、方広寺も縮小され、その場所も当時は妙法院となっていたりする。
いまは再興された豊国神社の横には大仏殿はなく、大仏殿石垣の跡しか残っていないのです。

 



 


途中の鴨川に映る空と流れてくる落ち葉とまったりした鷺たち。
ここに青がすごく綺麗に見えるカワセミも居たんだけど、カワセミってすごいシャイで、こんな距離から見つめたらすぐに隠れちゃうんですよね。

近くにある和菓子屋さんのお菓子の型、すごく繊細なんですよ。

そのまま東に歩けば京都国立博物館、七条通をはさんで向かい側が三十三間堂。
国立博物館は琳派が人気すぎて平日なのにすごい待ち時間、ちょっと無理って感じ。

博物館駐車場の銀杏はまだほんの少し緑色を残している感じ。

そこからもう少し東に歩けば東大路通に出て、目の前が智積院。

智積院は、もともと秀吉の長子、鶴松の菩提寺の祥雲寺だったところ。
その場所に、秀吉の仇敵であった紀州根来寺の一院の智積院が再興されたもの。
すぐ北隣りには妙法院があり、祥雲寺のすぐ後ろにあたる東側にあった豊国神社は破却されてしまい、新日吉神宮が建てられる、つまり豊国神社から豊国廟への参道を封鎖してしまうためにあの場所に新日吉神宮が建てられたわけ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/八幡神
豊臣秀吉は死後に自己を「新八幡」として祀り、奈良東大寺大仏殿である手向山八幡宮に倣い、国家鎮護のために建設した京都東山方広寺の鎮守として八幡宮を建設することを遺言したという。秀吉の死後の政局は二転三転し、結局は豊臣政権の末期を主導した徳川家康により、「新八幡」ではなく後陽成天皇の神号下賜により「豊国大明神」として豊国神社に祀られた。



西本願寺-正面通-(東本願寺で通りを分断)-正面通-(渉成園で通りを分断)-正面通-方広寺・大仏殿に妙法院を設置、祥雲寺を智積院に、豊国神社を破却し新日吉神宮を建てる、って感じで正面通を分断のうえ豊国廟への参道も封鎖したわけですけど、徳川家の徹底した執念深さは、八幡大菩薩の再生がそれほど恐ろしかったってことなんでしょうか。

豊国神社は豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったわけですけど、のちに明治天皇の整備の御沙汰により再興されています、明治天皇さまさま。


 



智積院の北の角のあたりが新日吉神宮いまひえじんぐうへの入り口でもあり、

豊国廟の参道でもあり、この塀の内側は妙法院でもあり。

妙法院門跡は普段はあまり観光客とか来なくて、静けさを保っていい感じ。


今や人だらけの京都の中で、静かであることってけっこう重要なことですよね。

SUMMILUX は開放値近くも魅力的なんですけど、少し絞った時の絶妙な分離感と立体感、マテリアルの質感表現はなにげにすごくて、写真になったはずのオブジェもそこはかとなく 3D感があったりします。
空みたいなものを背景にこんな表現をするレンズもあんまり無いかと思います。


この日も携帯電話でしゃべりまくってる爺さんひとりを除き、すごく静かで癒されました。

写真のサイズが小さくわかりづらいけど、桜の花が綺麗に咲いていました。
なぜかって、これはめずらしく冬に咲く品種の桜だからこの時期に咲くのです。

ここは人が少ない時にはゆっくり本を読めたりする場所もあって、ありがたいところ。
紅葉はまだちょっと先かな〜。

東大路通を馬町に向かって歩けばわりとすぐに五条坂、大谷本廟の門前もまだこんな感じ。




五条坂を登る途中、松原通の手前の観光バスだらけの駐車場のところから見える東山界隈。

昼と夕方の境目みたいな、雲に遮られて拡散する太陽の光がきれいなひと時。


このへんまで来たらもう人だらけだけどね(´・ω・`)♪

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