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今からでは誰も撮れない、過去という時間

良くも悪くも、ターゲットとしてまるで意図しない客層までが観光で生活圏に押し寄せて大騒ぎするという狂ったような状況というものは例のウイルスのせいでなくなって、通りも静か。

雑踏化も無人状態も、両極端なのは困ったことですね。
祇園の花街にとっても、そのどちらの状況も不本意なことなのはいうまでもなくて、じゃあどうしたら元々の不本意な状況じゃない世界を取り戻せるのか、いろいろ前向きに頭を痛めていることだと思います。

 


ひと昔前はどんな情景だったのか?

溝縁ひろし先生の膨大な祇園甲部の昭和の写真からセレクトされた写真集が、3月に発売されています。

昭和の祇園
昭和48年(1973)から64年(1989)までの昭和の時代の雰囲気、京都・祇園甲部の写真。

ごった返すような観光客の姿は写っていない、芸妓・舞妓が⾏き交う日常の風景。

コロナウイルスが蔓延する以前は、弥栄会館・ギオンコーナーの中に、都をどりのポスターやその原画の展示と同じように、こういった時代のモノクロの写真も展示されていたりもありましたが、今はもうずっとお休み。

人物だけでなく、街ごと含めての情景として捉えるドキュメンタリーというか、そこの日常の生活風景。

自分もそんなふうに静かに場所に溶け込んで、記録的な眼で、人も町の風情も描写としては町ごと含んだポートレイトみたいな感じになるようにうまくおさめてみたいという人間のうちの一人ですが、そこはもう時代も違うし今だとああいうのもなかなか撮れない、さらにそんな雰囲気でもなくなっているし、まずどうしようもないので、こういった本が出版されるのはなんかちょっと嬉しいですね。

 


地域固有の生業を守りつつ、地区協議会がどこまで町を運営できるか?

祇園南の成り立ち、祇園町南側地区一帯のまちづくりにも詳しい。

なにか事件や事故などがあったときに、ここらのことを「繁華街」といった言葉を使って報道されていたりもしていますが、それは根本的に間違っているというか認識のズレというか、理解されていないんだと思います。

 


昭和の京都
昭和20年代頃からの京都の時代と状態と姿を追う、浅野喜市先生の記録的なショット。
当時の写真と今のその場所を、つい比較してしまう、いろいろ思うところがありますね。

本の最後らへんにある年表には自分の知らなかった当時の日本の姿もありました。

 


本のサイズは小さめで、しっかりとしたハードカバー、厚みは2.5センチほど。

古い時代のものが多い「昭和の京都」と比べて「昭和の祇園」の写真の品質は昭和48年からのもののためか、くぐもった感じはあまりなく、いい感じのコントラストのままの印刷物に仕上がっています。

あと、このシリーズにはないけど、MARC RIBOUD が撮っていた昭和の裏寺町あたり、京都周辺の昔のモノクロ写真もなんかいい感じなんですよね、光村推古書院からこんなサイズの本で出て欲しい。



米国に接収されていたあらゆるところがぼちぼち返還され始めたのが昭和27年。
近年のオーバーツーリズムが様々なものを破壊し、その後はパンデミックによってオーバーツーリズムも崩壊。
そして最近は中国人投資家に観光地が買われていくような時代。

石塀小路の件も、胡錦濤政治の側近令計劃氏じゃないかという話があったり。
さらに最近は中国人投資家が買い漁って蛮子花間小路なるものが…、というようなものがニュースになったり。
なんとも哀しい京都の姿です。

 icon-link ライブドアニュース
京都の町並みにチャイナタウンが生まれるか 中国の投資会社が再開発計画

ていうかそんなん京都ちゃうで(´・ω・`)

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